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坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡石碑 復帰
 建碑地のビル建て替え工事に伴い一時撤去されていました「坂本龍馬 お龍『結婚式場』跡石碑」が復帰しました。
 「東山ユースホステル」は廃業され、「パーク・ウォーク京都東山」という賃貸マンションに生まれ変わりました。

建物に向かって右端の角に設置されています。




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坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡石碑 一時撤去
京都市東山区三条通白川橋東入五軒町 東山ユースホステル前にあります 坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡石碑 は同地新築工事のため一時撤去されています。
平成24年4月ごろ再度、設置される予定です。


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坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡
坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡

2009年9月6日 建碑

坂本龍馬 お龍「結婚式場」跡
此付近 青蓮院塔頭金蔵寺跡

京都市東山区三条通白川橋東入五軒町 東山ユースホステル前

 当地は青蓮院の旧境内で、その塔頭金蔵寺跡です。
 元治元年(1864)8月初旬、当地本堂で、坂本龍馬と妻お龍(鞆)は「内祝言」、すなわち内々の結婚式をしました。
 龍馬とお龍(鞆)の出会いや「内祝言」の具体については、1899年(明治32)ごろに聴きとられた、彼女の回想に詳しい。お龍(鞆)は1906年まで生きていました。
 一般には、慶応2年(1866)1月の伏見寺田屋遭難のあと、西郷隆盛(あるいは中岡慎太郎など)の媒酌で二人は夫婦の契りを結んだようにいわれます。が、この話は根拠が薄く、他の史料との検討からお龍(鞆)の話こそ信用すべきだと思われます。
 この地が選ばれたのは、お龍(鞆)の亡父楢崎将作が青蓮院宮に仕えた医師であったためでしょう。その縁により金蔵寺住職智息院が仲人をつとめました。
 当時は池田屋事件(6月)や禁門の変(7月)のおきたあとで、京都は物情騒然でした。しばらくして龍馬は、薩摩島津家から望まれ、対立した長州毛利家との和解に奔走します。龍馬は新婚生活を楽しむいとまもなく、お龍(鞆)を寺田屋などに託します。二人はながく別居夫婦だったのです。
 当地を京都における龍馬とお龍(鞆)の重要史蹟として、ここに建碑します。

歴史地理研究者 中村武生




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